「なぜ今、井上愛里沙選手は引退を決断したのか?」
「中学で一度バレーを離れた彼女が、なぜ再びトップへと戻れたのか?」
「引退後の進路はどうなる?ファンとして何ができるのか?」
このような悩みを解決する記事です。
本記事では、日本代表として活躍し続けた井上愛里沙選手の輝かしいキャリアの軌跡と、引退に至るまでの思いや、今後のセカンドキャリアに焦点を当てて紹介します。
- 井上愛里沙選手の経歴と主要な功績
- 現役引退を決断した理由とその背景
- ファンへのメッセージと最後のシーズンへの想い
- 引退後のビジョンと次世代への想い
彼女の決断の背景には、パリ五輪を区切りとした覚悟と、ファンや若い世代への想いが込められていました。
井上愛里沙選手の現役引退発表!バレー界に衝撃
バレーボール界に激震!ヴィクトリーナ姫路に所属する井上愛里沙選手が、2024-25シーズン限りでの現役引退を表明しました。このニュースは、多くのファンにとって驚きとともに、一つの時代の終わりを感じさせるものとなりました。
2025年3月12日、ヴィクトリーナ姫路は公式に、長年にわたり日本バレー界を牽引してきた井上選手が、今シーズンをもってコートを去ることを発表。パリオリンピック日本代表であり、2023年12月にはチームを皇后杯優勝に導いた立役者でもある井上選手。今シーズンもSVリーグ総得点で日本人2位という輝かしい成績を残しており、まさに第一線での活躍が続いていただけに、この引退発表は大きな衝撃を与えています。
引退を決断した井上選手は、その胸中を次のように語っています。
「今シーズンをもって現役を引退することを決断いたしました。”バレーボール”は私にとって宝物です」
「私を未知の世界へ連れて行ってくれた、それが”バレーボール”。楽しい、悔しい、苦しい、嬉しい気持ちをたくさん感じさせてくれた、それが”バレーボール”。数々のかけがえのない出会いをもたらしてくれた、それが”バレーボール”でした」
その言葉の一つ一つに、バレーボールへの深い愛情と感謝の念が込められており、胸が熱くなります。
井上愛里沙選手の輝かしい経歴とは?
井上愛里沙選手は、1995年5月8日生まれ、京都府舞鶴市出身の30歳(2025年現在)。身長178cmのアウトサイドヒッターとして、その高い打点から放たれる強烈なスパイクを武器に、数々の勝利をチームにもたらしてきました。
原点と才能の開花
- 小学2年生:友人の誘いでバレーボールを始める。
- 小学6年生:身長が170cmを超える。
- 中学時代(岡山県・就実中学校):
- バレー留学し、強豪校で実力を磨く。
- 全日本中学校選手権大会で3年連続3位入賞に貢献。
- 中学バレー界のホープとして注目を集める。
一度は離れたバレーボール、そして再び世界の舞台へ
意外にも、井上選手は「バレーは中学でやり尽くした感があり、医療の道に進みたかった」と、高校は地元の西舞鶴高校に進学します。しかし、彼女の才能がそれを許しませんでした。
- 2013年度:
- 全日本ジュニア代表に唯一の高校生として選出される。
- 世界ジュニア選手権に出場し、アウトサイドヒッターとしてチームの28年ぶりとなる準優勝に大きく貢献。
大学時代と日本代表デビュー
- 2014年4月:筑波大学に進学。
- 同月:日本代表に初選出される。
- 同年5月:モントルーバレーマスターズで、途中出場ながら12得点を記録し、シニア日本代表デビューを飾る。
Vリーグでの不動の地位とMVP獲得
大学卒業後、その才能はVリーグでさらに開花します。
V.LEAGUE DIVISION1 WOMEN:チームの逆転優勝に貢献し、最高殊勲選手賞(MVP)、ベスト6に輝く。さらに、**得点王(日本記録賞:584得点)**も受賞し、個人としても圧倒的な成績を残す。
2018年:久光製薬スプリングス(現・SAGA久光スプリングス)に入団。
2021-22シーズン(令和3年度):
皇后杯全日本バレーボール選手権大会:チームを優勝に導き、MVPを受賞。
海外挑戦からヴィクトリーナ姫路での新たなる栄光へ
井上選手の挑戦は国内に留まりませんでした。
- 2022年:フランスリーグのサン=ラファエルに移籍。海外でのプレーを通じて、さらなる成長を遂げます。
- 2023年9月:ヴィクトリーナ姫路へ加入。
- 「2023-24 V.LEAGUE DIVISION2 WOMEN」:チームを全勝優勝に導く。
- 2024年12月(令和6年度):皇后杯全日本バレーボール選手権大会で、クラブ創設以来初のタイトル獲得に大きく貢献。まさに大黒柱としてチームを牽引。
そして、2024年のパリオリンピックにも出場。名実ともに日本バレー界のエースとして、その輝かしいキャリアを築き上げてきました。
最後のシーズンにかける想いについて、井上選手はこう語ります。
「『最後(のシーズン)だから』というのは自分の中ではすごくある。SVリーグは(シーズン)44試合あって、今まで見たことがないほど試合数は多い。自分自身、もう明日バレーができなくなってもいいやって思いながら、シーズンに取り組んでる。もうほんとに明日、バレーができなくなっても、後悔しないように生きようと思ってやっています」
その言葉からは、一球一球に魂を込めてプレーする覚悟が伝わってきます。
引退決断の背景にある想いとは
ファンならずとも気になるのが、なぜこのタイミングで引退を決断したのか、という点でしょう。
2025年3月15日のホームゲーム後に行われた記者会見で、井上選手はその理由を明かしました。
「(現役は)パリ五輪までと決めて、(東京五輪後の)3年間、挑戦し続け、120パーセントの力で走り続けてきた」
当初はパリオリンピックが一区切りと考えていたものの、ヴィクトリーナ姫路への移籍が新たな想いを芽生えさせます。
「(しかし現役を)パリ五輪までとしてしまうと、ヴィクトリーナ姫路に、海外の経験や代表経験をあまり還元できてなかったとも感じた。(そこで)自分がやってきたもの全てをヴィクトリーナに還元して、優勝して終わろうと(思った)」
さらに、引退後のセカンドキャリアも見据え、「運営の方も勉強させてもらい、今シーズンで引退しようと考えていた」と、周到な準備があったことも明かしています。
引退発表を早めに行った理由については、ファンへの深い感謝の気持ちがありました。
「今まではリーグのあと黒鷲旗(全日本男女選抜バレーボール大会)があるので、リーグ終了後に(引退を)発表をしても、黒鷲旗に見に来ていただけたが、今年はSVリーグが5月まであり、シーズンが終わってしまうと試合がない。(早く引退を伝えて)一人でも多くの方に見に来ていただいて、出会ったたくさんの方々にお礼が言いたい」
どこまでもファンを大切にする、井上選手らしい言葉です。
井上愛里沙選手のセカンドキャリア|次世代へのバトン
引退後のビジョンも、井上選手の中では明確に描かれています。
「私は京都府に中学校のクラブチームを作りたいと思っている。指導に関しては、私自身まだまだ足りないところがあるので、そのために指導力やクラブ運営をどうしていくかを学びたい」
そして、その指導方針には、自身の経験から得た確固たる信念があります。
「日本が五輪や世界で勝っていくには『人間力』が大事。それを若い、未来ある選手たちに反映していきたい」
自身のバレーボール人生で培った技術、精神力、そして何よりも「人間力」を次世代に伝えていくという強い決意が感じられます。
ファンへ届けられた、井上愛里沙選手からのラストメッセージ
引退発表に際し、井上選手は心のこもったメッセージをファンに送っています。
「私はなりたい自分に近づくためにこれまで全力で駆け抜けてきました。その中でこれまでのさまざまなご縁、人とのつながりの中で、一つ一つ積み重ね、今の自分があると思っています。自身の成長を感じさせてくれるバレーボールというスポーツに出会えて幸せな競技人生でした。」
「残り試合少なくなってきたなかで、ひとりでも多くの皆様に会場で、そして配信を通じて、私のプレーを観て頂きたい、そしてお礼を伝えたいと考え、発表させていただきました。」
「シーズンも終盤になり、このメンバーで戦えるのもあとわずかです。皆様と一緒に最高の景色を見れるように、自分を、仲間を信じて頑張っていきますので、引き続き会場で、配信でご声援をよろしくお願いします。」
最後の瞬間まで、ファンと共に戦い抜くという熱い想いが伝わってきます。
まとめ:井上愛里沙選手の輝かしい軌跡と未来へのエール
小学2年生でバレーボールと出会い、中学時代からその才能を開花させた井上愛里沙選手。一度はバレーから離れるも、その情熱は消えることなく、再びコートへ。日本代表、そしてVリーグのトップ選手として、数々の金字塔を打ち立ててきました。
久光スプリングスでの数々のタイトル獲得、フランスリーグへの挑戦、そしてヴィクトリーナ姫路を悲願の優勝へと導いたその功績は、まさに圧巻の一言。パリオリンピック出場も果たし、日本バレー界を代表するエースとして、多くのファンを魅了し続けました。
「バレーボールは私にとって宝物」――その言葉通り、井上選手のプレーは私たちに多くの感動と勇気を与えてくれました。
引退後は、京都府での中学校クラブチーム設立という新たな夢に向かって歩み始めます。彼女の情熱と経験は、きっと未来のバレーボール界を担う若者たちにとって、かけがえのない財産となるでしょう。
井上愛里沙選手のラストシーズン。その勇姿を目に焼き付け、感謝の拍手を送りましょう。そして、彼女の新たな挑戦を心から応援していきたいですね!